「阪神タイガース公式サイト」
より引用
更に、現在では左下半身全体に痺れがあり、つま先の感覚もなく、地に足がついている感じがないという。昨日、報道陣に向けて記者会見をする際、クラブハウスの階段を下りてくる城島の姿が、異常事態を物語っていた。
手すりにつかまり、左足を引きずりながら報道陣の前に現れた。まともに歩くことさえできず、ほんの1週間前まで試合に出ていたことが不思議なくらい、深刻な状態に陥っていた。
城島は報道陣に対して以下のコメントを残している。
「椎間板ヘルニアの摘出手術をすれば、1カ月でコルセットが外れると聞いた。このままの状態では、守りどころか、打撃にも影響がある。椎間板ヘルニアの手術をすれば、今季中に復帰できる可能性があると医師から示唆されているので、1日でも早くチームに戻りたい。チームが苦しいときに1日も早く戻ってこられるよう努力をしたい」と語った。
担当した医師の説明では、椎間板ヘルニアの摘出をすれば、翌日には歩行が可能となる。1カ月程でコルセットが外れるようになれば、野球の動きを取り入れたリハビリメニューを消化していくと語った。
ただ、椎間板ヘルニアは術後の再発リスクが高いだけに、常川達三チーフトレーナーは、
「椎間板ヘルニアの摘出手術を終えないと、今の段階では何とも言えない。野球選手としてはかなりの重傷だ。」
と説明し、術後については「終わってから」と話した。
城島健司は1976年6月8日生まれの今年36歳。長崎県佐世保市出身の阪神タイガースに所属するプロ野球選手である。ポジションとしては、主に捕手を行っているが、内野手として出場することも多々ある。
4歳の時、王貞治が引退試合で挨拶しているビデオを見て、プロ野球選手に憧れるようになり、小学校4年の時に入った少年野球チームでは、強肩を見込まれ捕手を務めた。
高校は別府大学付属高等学校に進学。進学当初は自分が強肩ということを監督やチームメイトに隠していたが、高校でも強肩を見込まれ捕手に指名される。
高校では1年生の時から4番を任され、高校生時代の成績は通算70本塁打を記録。残念ながら、甲子園への出場は果たせなかったが、城島の噂は日本プロ野球界に広まっていた。
その後、城島は子供の頃から憧れていた王貞治が所属していた巨人入りを見据えて、東都大学リーグで力をつけることに決めた。いち早く城島獲得に動いた駒澤大学は推薦入学を取りつけた。
しかし、城島自身の本心は進学ではなくプロ入りを希望していた。それを知ったダイエーの根本陸夫らは1994年のドラフトの前日、1位での強行指名を宣言。
城島は王貞治に憧れていたため、巨人入りを志望していた。しかし、ダイエーに行くことを決めた理由として、王貞治がダイエーの次期監督に内定していることを知り、その後、監督に就任した事を受け、ダイエー入りを決めた。
その後、日本の野球界で活躍したのち、FA宣言をして、2005年11月22日にシアトル・マリナーズと3年契約の1,650万ドルで合意。捕手としては日本人選手史上初のメジャーリーガーとなった。
その後、メジャーリーグでも活躍をし、2009年にはワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出される。松坂大輔、イチローとともに大いに活躍を見せた。
そして、2009年に帰国。2010年から阪神タイガースと契約をして、現在に至っている。城島健司は名実とともに、日本プロ野球界を代表とする選手である。
しかし、今回の椎間板ヘルニアの手術は本人にとっても大変辛いものであるが、阪神タイガース、日本のプロ野球界にとっても、大きな打撃であることは間違いないだろう。
とにかく城島には治療に専念してもらい、1日も早く復帰し、元気にプレーしている姿をファンの前に見せてもらいたいと願うばかりである。